六三四城的龍馬伝

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六三四城的龍馬温泉ロード

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坂本龍馬とおりょうの足跡を辿る上で忘れてはならない場所が鹿児島市天保山にある[龍馬とおりょうの像]です。慶応2年(1866年)3月16日、龍馬とおりょうは吉井幸輔の案内でここの船着場から錦江湾を船で霧島温泉湯治旅に出発します。この日は【日当山温泉】に宿泊したと龍馬が姉乙女に宛てた手紙に書かれてあります。

六三四の独り言
さて、右ん写真は天保山にある2人の像じゃっです。多分、市内に住んじょっしでも知たんしはずんべおっとじゃなかかと思いもす。天保山ち言えば生麦事件後の薩英戦争ん時に、かの大英帝国艦隊に大砲を撃った場所で、今も砲台跡が史跡として残っちょっです。薩摩の汽船を3隻拿捕されっせぇビンテきて攻撃。ずら〜っち並べた80門の大砲で攻撃したたっどん薩摩はでぇな事になってカゴンマの街は火の海になったち、ちんけころ母ちゃんに聞きもした。英国のアームストロング砲は陸に届っとに薩摩の旧式の大砲はぶんとじゃったちゅうとも教えてもろた記憶があいもす。今考えると、うんだげえの母ちゃんはわっぜか事を子どんのオイに言っ聞かせちょったなあち思いもす。じゃっどん日の本の国の薩摩っちゅう、ちんけ国が大英帝国と戦争をしたっちゅう事はわっぜか事じゃったち思いもす。今じゃったらイギリスと鹿児島の戦争なんち事は絶対ありえんし、先ずせんじゃろで・・・昔ん薩摩隼人はやっぱい凄かったんじゃと考えさせられもした。

だいぶ横道にそれたで、はないを龍馬とおりょうに戻しもす。まっここ天保山から船に乗ったちゅう事で向かった先は隼人の真考浜之市。隼人港のとこいじゃっです。六三四城的龍馬温泉ロードやっで龍馬が入ったち記録が無か温泉で、こや良かちっいう温泉巡りばっかいやっていきもす。龍馬とおりょうの旅の足跡プラス記述が残る温泉以外を紹介いたしもす。実際入った温泉は【六三四城的龍馬伝TOP】で確認しっくいやんせ。飽きんで頼んもんでなあ〜。ほいじゃ、いっど〜!


天保山にある龍馬とおりょう像
龍馬上陸の地である浜之市(隼人港)には【浜之市ふれあいセンター「富の湯」】と併設の【浜之市ふれあいセンター「足湯」】があります。この地区で温泉の開発があったのは大正8年。掘削深度360mの不老泉と呼ばれた温泉でしたが現存していません。こちらは平成16年に出来た物産館もある入浴施設で強塩泉の温泉。薄緑茶色のお湯はガツンとくる強烈な浴感だがヌル付もあるので気持ち良い。

富の湯 浴槽 ふれあいセンター 足湯 浜之市ふれあいセンター
住所 霧島市隼人町真孝390
電話 0995-42-7072
泉質 塩化物泉
適応症 きり傷・やけど・慢性皮膚病 など

六三四の独り言

先ずは足湯がおすすめじゃっです。最初から飛ばしっせぇ強塩泉に浸かっと、ダレもんでなあ。龍馬とおりょうは、こん日は【日当山温泉】に泊まったち事じゃっです。


龍馬とおりょうの足跡六三四的追加


大津川 (現在の天降川) 龍馬の渡し
【日当山温泉】の歴史は非常に古く神代にまで遡ります。伝説によれば、伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)の間に生まれた最初の神、蛭子命(ヒルコ)が不具の子(足がたたなかったとされる)だった為この地に送り、療養させたと伝えられています。古くから牛馬の世話や住民の足湯として利用されていたと云われていますが、記録として残るものは文政8年(1825年)以降のものです。この【日当山温泉】には西郷隆盛が入ったと云われる【西郷どん湯】があります。【西郷どん湯】は通称元湯と呼ばれ、西郷が日当山湯治の折、宿の代わりとしていたのが元湯前にあった龍宝伝右ヱ門宅でした。現在は老朽化が進んだ為、日当山にある蛭子神社前に再建されています。龍馬とおりょうもひょっとしたら龍宝宅に泊まったかもしれません。また、日当山一帯を流れる天降川(あもりがわ)沿いに龍馬とおりょうの日本最初の新婚旅行渡しの地と書かれた碑があります。この渡しは、2尺(約60cm)程の木板を敷いた橋だったそうです。以前、天降川は大津川と呼ばれており河川の氾濫時は山手側近くまで冠水していたと記述があります。

西郷どん湯 浴槽 西郷どん湯
住所 霧島市隼人町内1462-2
電話 0995-43-3870

泉質 炭酸水素塩泉
適応症 神経痛・きり傷・虫さされ など
翌日慶応2年(1866年)3月17日、龍馬とおりょうは日当山を後にし旅の目的地である【塩浸温泉】へ向かいます。日当山から北へ約11Kmの場所に塩浸はあります。現在は徒歩で約2時間30分程かかるのですが、塩浸までの道中は龍馬もおりょうものんびりと新川渓谷の景色を見ながら楽しく歩いて行ったのだと思います。

六三四の独り言
カゴンマの温泉湯治さ行くきっかけになった[寺田屋騒動]やらカゴンマに着いても坂本龍馬妻聞文『反魂香』に書かれちょっどん茶会処ちゅう宿で刺客に狙われたい、がっついひで目にあっちょった龍馬とおりょうじゃった。じゃっで、こん道中は悪かっぼさ襲わるっ心ぺも無く、ゆた〜っちした気持いじゃったち思いもす。

どら、日当山から塩浸までの道中ちゅ言えば、まこちずんべ温泉がありもす。妙見 、安楽、新川、山の湯、旧平落、日の出(平落温泉)、天降川、ラムネ温泉・・・。各温泉そいぞい個性があっせぇ良かお湯じゃっです。こん中でも六三四城的におすすめしたかとが妙見温泉ねむの木通り【えのき公園「飲泉場」】じゃっです。県内広しと言えどん飲泉の為だけに上等に作っちょたあここだけじゃっ。旧妙見温泉観光協会の方々に由るまっこち素晴らしか飲泉場じゃっです。オイもここん前を通っ時は必ず飲んじょいもす。いつもありがとうございもす。また飲泉場近く【味の宿 どさんこ】駐車場には【妙見温泉足湯】もあっで時間が無かたっどん、妙見のお湯はいけんじゃろかい?っちゅうしは是非ご利用しっくいやんせ。


えのき公園 全景 えのき公園 飲泉場 妙見温泉足湯 外観 えのき公園飲泉場・妙見温泉足湯
住所 霧島市隼人町嘉例川妙見温泉
電話 0995-77-2818 (妙見温泉振興会)

泉質 炭酸水素塩泉
適応症 慢性消化器病・糖尿病・痛風 など
日当山を後にし塩浸についた龍馬とおりょうはここで延べ18日間逗留します。【塩浸温泉】は文化3年(1806年)頃に発見されました。鶴が温泉で傷を癒していた事から鶴の湯と呼ばれるようになったそうです。古くから切り傷や胃腸病に効能があるとされ安政年間に国分の丸山栄右衛門が浴場を開設しましたが数年で廃止。その後、慶応3年(1867年)に福山郷の岡本助八が浴場を開いたところ戊辰戦争の負傷兵が訪れ傷に効能があったとして一躍有名になりました。塩浸という名前の由来は付近の川岸に塩牡蠣(白色の固形物)が付いていたことから【塩浸温泉】と呼ばれるようになったそうです。後に、薩摩藩によって道路工事や温泉施設整備が行われ、明治18年(1885年)に暴風雨被害に逢うも再興。昭和44年(1969年)に牧園町営塩浸温泉センター(後の【塩浸温泉福祉の里】)が開業。平成元年(1989年)に[坂本龍馬、おりょう新婚湯治の碑]が建てられました。しかし、近年建物が老朽化してきたことから平成21年3月末をもって入浴施設は一旦閉鎖。そして平成22年に新たな入浴施設と公園、坂本龍馬や観光に関連した資料を展示する施設【塩浸温泉龍馬公園】が完成(2010年4月予定) 。

龍馬公園 俯瞰 縁結びの足湯 浴槽 塩浸温泉龍馬公園
住所 霧島市牧園町宿窪田3607
電話 0995-76-0007 (旧福祉の里)
泉質 炭酸水素塩泉
適応症 神経痛・皮膚病・胃腸病 など

塩浸温泉の龍馬とおりょう像

霧島観光.com
龍馬ハネムーンウォークin霧島公式サイト


上:牧園郵便局ポスト
左下:霧島神話の里公園
右下:霧島神宮
慶応2年(1866年)3月28日、塩浸で10日間過ごした龍馬とおりょうは吉井幸輔と連れ立って【栄之尾温泉】で療養中の小松帯刀を見舞いに出発。そして小松より登山の弁当にとカステラを渡されたそうです。その日2人は栄之尾近くの【硫黄谷温泉】に宿泊。3月29日に高千穂登山をしています。龍馬とおりょうは「霧島より下り、きり島の社にまいりしが是は実大きなる杉の木があり、宮もものふり極とふとかりし。其所ニて一宿」つまり高千穂登山の後、霧島神宮を参拝しました。神社には実に大きな杉の木があったと龍馬の姉乙女に手紙を書いています。そして、霧島神社に泊まった事も文面からわかります。

六三四の独り言
霧島神宮に泊まったっち、あっどんか〜一体どこじゃろかい?左の写真は龍馬とおりょうの面白記念写真じゃっどん、まあ牧ぞん郵便局はようやったなあ・・・こいに似たようなこっが前にあったたっどん大学ん時に友だっ2人で四国一周をした時じゃした。(2日で四国一周強行軍)高知に着いた時に見つけた電話ボックス!こん上に龍馬の像がついちょったとを思い出しもした。(今もあや、あったろかい?)まあ、びびって笑っしもたどん、そん時と同じ感覚じゃした。さて温泉じゃした。オイは神宮温泉に行ったぎいな【蓬泉館】に行っちょっです。鄙びた宿に、これまた年季のいった浴場、そして大量の湯の華舞う硫黄泉・・・成分表にゃ単純温泉ち、けちょったどん硫黄のにえプンプンごわした。そいで入浴料も安して、はいめ行ったとんな100じゃした。(2010年1月現在 200)まだ行った事が無かっちゅうシは一っ度行っみろんせ。がっつい渋かど〜。

蓬泉館 外観 蓬泉館 浴槽 蓬泉館
住所 霧島市霧島田口2442
電話 0995-57-1171

泉質
単純温泉
適応症 神経痛・リウマチ・婦人病 など

ち、まあ駆け足じゃしたどん言いたか事はまだずんべあっせ物足りんたっどん大体書っが出来たで良しとしもんそ。龍馬とおりょうは霧島神宮のあと来た道を戻っせえカゴンマを後にしもした。【龍馬鹿児島滞在年表】も見てくいやん。ほいじゃなあ〜。